ヴィンテージサックスの入っている箱ケースの中には、クラリネットやフルートも入るトリプルケースがちらほら見られます。ビッグバンドの「バンドマン」を生業とする、マルチ木管プレイヤーであるサックス奏者の必需品でした。今日はビッグバンド系のマルチ木管プレイヤーに焦点を当てましょう。
1930年代に始まった「スウィング時代(Swing Era)」、ビッグバンドはジャズ界の花形でした。その中でもクラリネット奏者、ベニーグッドマン率いるベニーグッドマン楽団は、彼の甘く暖かいクラリネットのサウンドをリードパートにした、クラリネットリードの名曲で世界を席巻しました。クラリネットリードの数々の名曲の楽譜は多くの他のバンドでも演奏され、クラリネットも吹けるサックスセクションが必須となりました。運指はかなり異なりますが、同じシングルリード楽器でもあり、多くのサックス奏者がクラリネット出身だったこともあり、いつの間にか、「ビッグバンドのサックス奏者はクラリネット必須」、がスタンダードになりました。また同様に運指が似ており、同じ木管楽器であるフルートも、アレンジャーがサックスセクションに要求するようになってきます。カウント・ベイシー楽団の名テナー、フランク・ウェスのフルートは、超絶テクニックでビッグバンドのフルートソロの地位を確立しました。また近年では、同じくテナー奏者、ルー・タバキンのフルートも有名です。このようにビッグバンドのサックスセクションは、マルチ木管プレイヤーが当たり前になり、多くの曲のアレンジで、サックスパート譜での、「Change to Flute(フルートに持ち替え)」、「Change to Clarinet(クラリネットに持ち替え)」が数多く見られます。ビッグバンド最前列がサックスセクションですが、演奏曲によってはサックス奏者の足元に、フルート、ピッコロ、クラリネット、ソプラノサックス等が林立している場合も少なくありません。
とはいえ、同じ木管楽器でも、持ち替えがそんなに簡単という訳ではありません。クラリネットはサックスと完全に運指が異なります。楽譜で低い「ド」の指は、サックスの「ソ」の指です。なのにその上の「ド」は同じ「ド」の指です。クラリネットではほぼ左手だけで、ドからシまで出します。しかもこの音域には音の出し難いスロートトーンが在り、これも難題です。フルートでは運指は似ていても、音程を正確にする「補助指」が多数存在し、サックスと似ている運指ゆえに頭が混乱します。このように難しい持ち替えゆえに、持ち替え無しのアレンジを採用したり、持ち替えを無視して(もちろん譜面は書き換えます)演奏するバンドも数多くあります。ベイシーやサド・メル、敏子・タバキン等のビッグバンド以降の譜面は、比較的持ち替え指示が少ないようです。
マルチ木管プレイヤーの持ち替えのコツがあるとしたら、「瞬時に奏者としての人格を変える」、でしょうか。フルートを吹いているときはフルート奏者に、クラリネットを吹いているときはクラリネット奏者になり切って、演奏をするということに尽きます。たとえエンディング3小節のピッコロ演奏でも、ピッコロ奏者になり切らなければ、ピッコロから音は出てきません。持ち替えによるソロパートであれば、別の楽器の奏者としての気持ちを整える時間的余裕が普通ありますが、数小節のインターバルで、別の楽器の奏者になるには、かなりの瞬発力が必要です。ビッグバンド形態でのマルチ木管プレイヤーが、しばしば「職人」に例えられるのは、こんなところが原因です。
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